品番/仕様

品番を見ると、仕様がわかる。
KIKU SCISSORSは、技術者の最も近くに存在する。

品番/仕様



品番の構成
品番の構成

品番/仕様
※ シザーズの用途によって、素材指定となる製品もございます。



手造りとは、何だ。

例えば、DXというハンドルタイプを考える。

DC 54DXとDC 60DXでは、品番上、どちらもDXハンドルを採用している。
だが、表記/規格にとらわれた全く同一のDX仕様で本当に良いのだろうか?
KIKU OKAWAの答えは、「No.」だった。

DXハンドル

5.4インチと6.0インチでは、使用シーンが全く異なる別物。
当然、6.0インチの方が長く、ハサミを把持するために必要な力が介達される小指にかかる負担は大きい。
一見、刃長はわずかな違いの様に見えるが、「テコの原理」が作用し小指は大変疲労することは、技術者の実感に相違ないはずだ。
だとすれば、同じDXであってもそれぞれの製品の最も良い心地を引き出すために、同じ仕様であってはならないと考える方が自然ではないだろうか。
実際、 DC 54DXとDC 60DXでは細部の仕様をわずかに変更している。
仕様書に表記されない、いや言葉では記すことのできない繊細な仕立ての違いが施されてあるのだ。

機械的発想

一般的に、縦軸と横軸に長さとハンドルの選択肢を置いた一覧表から、
「長さはこれ、ハンドルはこれ」と決めるだけでハサミが選べてしまう。
そうして“機械的に選ばれた刃材とハンドル材”は、
様々な技術レベルの職人によって溶接、研磨、刃付けという
“機械的な流れ作業”によって完成される。

機械的に選ばれた材料を機械的に造り上げていくことが、本当に手造りと言えるのだろうか?



とするならば、古来より脈々と受け継がれてきた日本のもの造り精神への冒涜(ぼうとく)であり、それを「YES」と答えるのは造り手の目線であって使い手の目線が完全に欠落している。

元来、日本の職人は“おもしろくない”仕事はしなかった。
この面白い・面白くないという意味は、
職人としての仕事、つまり自分の持ち味を発揮できるかできないか、という点が重要となる。
同じ仕事を別々の職人に与えても、
「何言ってやがんだ!ここんとこぁ こうしたほうが使いやすいに決まってるだろ!」といった具合に使い手の目線に立って、
惜しみなくオリジナリティを盛り込んでいく。
「俺に頼むからには、俺の仕事をさせてもらう。嫌なら他に頼んでくれ。」という心意気は、永く日本のもの造りを支えてきた根幹の精神なのだ。
そうして仕立てられた作品は、図面指示通りの寸法に見えるが、数値で表せない細部の造り込みには独特の味わいがあり、使ってみると遥かに使い心地がよい。
指示された寸法に仕上げるのは当たり前で、ほかの誰にもできないその職人の感性と想像力を存分にぶつけてこそ、粋(いき)なのである。
一方で、自分が仕立てなくとも誰がやっても同じ仕事であれば「こんな仕事なら他に頼んでくれ」でおしまいである。
そういった、ある意味不器用なようにも見えるが、自分にしか表現できないもの造りからは職人の吐息が感ぜられ、湯気立ち昇る心意気が伝わるものであった。



KIKU OKAWAでは、業界唯一の造り置き在庫を一切保有しない完全受注生産を立ち上げ以来貫徹している。
だからこそ、個々の製品に対してベストな仕様に仕立てることができるのである。

手作業 = 手造り ではない、
手造り想いやり造り なのであり、=心意気そのものなのである。